― 僕は君を人間だとは思えなかったんだ。
それは本当に突然だった。
何が突然だったか、色々ありすぎて正直僕はよくよくは覚えていない。
決して僕が頭が悪いとか容量が悪いとかそんな意味じゃないんだけど…あ、だからと言って僕が頭の良い人間だってわけでもない、だけどそれは本当に、本当に色々あって。
覚えていたい大切な時間だったのにそれは僕の思いを無視して呆気なく進み、そして終わった。
僕と君のたった一週間の長いようで短い7日間の話しだ。
・・・
―あれは夏と秋が入り混じった暑いような、それでもどこか涼しげな日のことだった。
僕は眠くて気怠い気分で家のドアを閉め欠伸をしながら学校に向おうとしていた。
ショルダーバックの中から音楽プレイヤーを取り出して、いつの間にか習慣になってしまった聴きなれた音楽を耳に通す。
朝に聴く音楽は大体眠気を飛ばすような底抜けに明るいものか煩いくらいの激しい音楽だったけど、今日はどうしてか比較的おとなしめの音楽を選択して歩き慣れた道を歩く。
少し足を引き擦るように歩くのが癖になったせいで僕が歩く度に情けない音が聞こえてくる。
ついでにその歩き方のせいで踵の部分は直ぐに薄くなって終いには穴が開くことも多い。
「この靴もそろそろ寿命か」
思わず呟きながら軽く足をあげて靴底を確認すると思った通りに薄らと削れていて穴が開く寸前を予感させる。
帰りに買って帰ろうかなぁ、なんて帰る頃には忘れているだろう考えをしながら足を進めると今日も“あの家”が視界に入った。
“あの家”とは僕が生まれる前からあるらしい随分と古い洋館だ。
立派な建物ではあるんだろうけど古びた錆切った大門。家の壁には何の蔦かは分からないが其処等中に蔓延っていてまるで血管が浮き上がっているようにも見える。
夏場はまだマシだ、緑色が残っているから植物だという事は分かる…しかし秋になると壁と同じような黄土色に変って葉も無くボロボロになってしまう。
遠目からみれば完全なホラーの塊だ。
小さい頃は「おばけがでる」なんて噂で泣かされたこともあった…これは苦い思い出でしかない。
しかもこれを言ってきたのは母親で、僕が悪さをすると「あのお屋敷に閉じ込めてお仕置きしてもらう」とか言い出して僕を家から引きずり出したこともあった。
そんな洋館は今日も朝から仄暗く怪しい雰囲気を纏っている。
だけれど今日はその洋館に転機が訪れたらしい。
「…なんで引っ越し用のトラックが」
「そりゃお前、引っ越してくるんだよ」
「っ!……おおおお驚かせるなよ!カケルっ」
気付けば足が止まっていたらしく、右肩の後ろから顔がぬっと出てくると耳元でテノールの音が囁くように僕の鼓膜を揺らした。
驚いて飛び退き耳を押さえながら声を震わせると、昔馴染みのカケルがけらけらと笑いながら僕を見る。
この季節にはまだ暑いだろうパーカーとブレザーを重ねて身につけ、学校指定の皮の鞄をぶら下げて僕の後ろにあるトラックをみていた。
カケルも小さい頃この洋館をお化け屋敷と言って僕の他に何人かを連れ立って調査だとかなんとか理由をつけては中に入り込もうとしたことがある。
その時は隣のおばちゃんに見つかってこっ酷く怒られたことが…あれ、なんかこの屋敷に良い思い出なんか全くないな。
「だけど良くここに来るよな、何年も無人だったから窓だって敷地内だってズタボロじゃん」
「まぁカケルが窓割って土足で踏み荒らしたんだもんな」
「お前も同罪だろ?鶴」
「僕は自分から入った訳じゃないじゃん…あんだけ泣き叫んでたのに」
今思い返しても恥ずかしい。
僕は度を越えた怖がりで遊園地のアトラクションのお化け屋敷は勿論、暗くて人気のない場所も怖けりゃこんな古い洋館なんて恐怖の対象でしかなかった。
連れて行かれる度に泣き喚き仕舞いには「殺される」と叫んでいたこともある。
それを面白がるのは専ら母親と、このカケルだ。
朝から陰鬱な気分になってきたなと肩を項垂れると、カケルが僕の背中を思い切り叩いて笑う。
さっさと行かないと遅刻するぞーなんて笑いながら先を歩くカケルに僕は追いかけるように歩き出す。
だけど歩きだした瞬間トラックの後ろからふらり、女の子が出てくると僕を見て大きな眼を瞬かせる。
思わず歩きだしていた足をもう一度止めて見つめ返せば、大きめの帽子を深く被りながらも僕を見てくる澄んだ水色の瞳が数度瞬き、首を斜めに倒した少女が微笑む。
不健康的な白い肌が良く似合う女の子は微笑むと直ぐに例の洋館へ足を進めて重々しく鈍い音を立てる門の奥、大きな建物に吸い込まれるかのように消えていった。
「おい、鶴!なにしてんの」
「カケル、今あの洋館に…」
女の子が入って行った、そう言おうとしたのにどうしてか口の中で言葉がくぐもる。
僕が見たのは本当に“人間の”女の子だっただろうか?あんなに肌が透けそうなほど白くてビー玉のような瞳をした人間を僕は生まれてから一度も見たことはない。
そう思うと僕は変な不安と恐怖に頭が支配されてしまって慌てて首を横に振った。
なんでもないと言うように、自分の頭から雑念を振り払うように。
カケルはそんな僕を見て不思議そうな顔をしてから然程気にしなかったんだろう「早く行こうぜーあちぃ」と呟く。
(ならパーカーなりブレザーを脱げば良いと、これまたどうしてか言えなかったんだけど)
僕はカケルとの距離を足早に縮めながらもう一度だけ屋敷を振り返る。やっぱりそこには誰もいないただの廃墟が残っていた。
・・・
学校に行けばいつもと変わらない一日が始まる。
朝の眠気は昼休みを過ぎたころにまた戻ってきて、午後の授業は右から左へと通り過ぎる。
まぁその原因は眠気だけじゃない…朝のあの些細な出来事も要因だった。
考えれば考えるほどあの女の子が人間じゃない様に思えてくる。
人間離れした存在感に一言も声を発さない代わりに小さな動きと視線だけで僕に何かを語りかけてくるみたいに感じてしまう。
あの子に足はあっただろうか?あの時確かに透けてはいなかっただろうか?まず、僕が見たこと自体が夢幻ではなかったんだろうか。
そんな事が頭の中を巡り巡って僕はすっかり蛻の殻になっていた。
「―る?…つる…なあっ鶴ってば!」
「みぎゃっ」
「みぎゃっだって、聞いた?百合子」
「あははっ鶴ちゃん猫みたいね?可愛い」
急に首に手を回されれば誰だって奇声上げるだろ!と恨みがましく後ろを振り向けばカケルとその彼女の百合子さんがいる。
あれ、授業は?なんで他クラスの百合子さんがここの居いるの?僕はきょろきょろと周りを見渡してから壁にかかっている時計を見れば、とっくに授業なんて終わってLHRすら終わっている時間だった。
ちょっと、誰か終わったって声かけてくれたっていいじゃん…カケル達が声かけてくれなきゃもしかしたら暗くなっても気付かなかったかもしれない。
僕はカケルの手を払い除けてから鞄の中に筆記用具だけを詰めて小さく溜息をつく。
流石にカケルもこんな僕をからかえないみたいで、心配そうに覗き見てきた。
「大丈夫か?朝からずっとそんな調子じゃんか」
「鶴ちゃん具合でも悪いの?」
「…そういうわけじゃ、ないんだけど……ちょっと気になることがあって」
気になることは紛れもなく彼女のことだ。
僕は視線を床に向けて微かに震えそうになる身体を抱きしめるように腕を組んだ。
ま、まさか彼女の呪い?!もしかしたらやっぱり彼女は幽霊で、姿を見ちゃった僕に対して何か呪いでも送ってきているのだろうか?!
いやまて落ち着くんだ鶴。まず彼女が幽霊か人間か分からないじゃないか…!もしも人間だったらこんな失礼なことはない。
いやもしもとか言っている時点で僕の脳みそはあの子をおばけとか幽霊だって認識している状態だ。
僕はぐるぐると混乱し始める頭に気持ちまで混乱して次第には落ち着かなくなってくる…ええい!まどろっこしい!
「僕、帰る!」
「は?そうだな…帰るか」
「カケルと百合子さんは先に帰ってて、僕行きたい場所があるんだ」
「なら一緒に「だ、駄目!駄目駄目!一緒に来たら呪いが!」
「「…のろい?」」
2人の表情が一瞬呆けたかと思うとカケルの表情はどんどん訝しげに歪んでいく。
このままではマズイ。そう思うと僕は自分の言っている言葉も良く分からないまま「駄目なもんは駄目だ!」と言い切って立ち上がり、先に帰れと言ったはずなのに僕が先に教室から駆け出した。
なんだこの突っ込みどころ満載な分かりやすい態度はと自分でも思うのに僕は焦っていたせいか言い訳も何も浮かばず、とりあえず追いつかれないようにと走り続ける。
あの2人は巻き込んだらいけないと、いつのまにか思考が結論を出していて僕はそれにされるがままだ。